立原 元夫(たつはら もとお、1913年1月14日 - 没年不明)は、東京市品川区出身のサッカー選手。父は法曹の雄と呼ばれた花井卓蔵。
略歴
東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属高校)在学中よりサッカーを始め、1933年に早稲田大学に入学し、在学中はア式蹴球部に所属した。1934年に開催された第10回極東選手権競技大会の日本代表に選出され、5月13日のオランダ領東インド(現:インドネシア)代表戦で日本代表として初出場した。1935年にはア式蹴球部の主将を務めた。
1936年3月に早稲田大学を卒業して大日本人造肥料(現:日産化学)に入社。同年に開催されたベルリンオリンピックの日本代表に選出され、1936年8月のスウェーデン代表戦など2試合に出場した(ベルリンの奇跡を参照)。
1942年8月、満州国建国十周年慶祝東亜競技大会の日本代表に選出され、主将として3試合に出場した。
所属クラブ
- 東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属高校)
- 早稲田大学
- 早稲田大学WMW
代表歴
出場大会
- 1934年 第10回極東選手権競技大会
- 1936年 ベルリンオリンピック
- 1942年:満州国建国十周年慶祝東亜競技大会
試合数
- 国際Aマッチ 4試合 0得点(1934-1936)
出場
出典
外部リンク
- 立原元夫 - Olympedia (英語)
- 立原元夫 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語)
- 立原元夫 - National-Football-Teams.com (英語)
- 立原元夫 - WorldFootball.net (英語)
- 立原元夫 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- 立原元夫 - FIFA主催大会成績 (英語)




