Cīvis rōmānus sum(ラテン語発音: [ˈkiːwɪs roːˈmaːnʊs ˈsʊm]、キーウィス・ローマーヌス・スム、「私はローマ市民である」の意)は、マルクス・トゥッリウス・キケロのウェッレス弾劾演説の一文である。ガイウス・ウェッレスが、あるローマ市民をスパイ容疑で捕らえて拷問するシーンで出てくる。
共和政ローマではこの成句を言えば安全が保障されるという。
審判人の皆さん、メッサナのフォルムの中央でローマ市民が棒で打たれ、
その音が響き渡る中、痛みに耐え、
「私はローマ市民だ」と訴える声だけが聞こえてきました。
それが分かれば、打たれることも、拷問も全て防げる、そう思って。
しかしそれどころか、そうしている間に、彼の十字架が運ばれてきたのです。
おお、甘美なる自由の名よ!おお、我らが市民の特権よ!
ポルキウス法よ!センプロニウス諸法よ!護民官の権力よ!
我らが権利は、属州で、同盟国で、市民が拘束され打たれるほどに落ちてしまったのか!キケロ『ウェッレス弾劾』2.5.162-163
新約聖書の使徒言行録によれば、パウロは逮捕されて拷問を受けるとき、ローマ市民としての権利を主張したため、パウロがローマへ連行されるまで中断しなければならなかった 。
このように、Civis romanus sumという成句は文字そのままの意味以上に「どこにいようとも、ローマ国家の庇護を受ける」「ローマ市民としての誇り」などの意味も持ち、さまざまな演説で引用された。
後代の著名な引用例
1850年6月25日、イギリス首相パーマストン子爵はドン・パシフィコ事件をめぐっての答弁でこの成句を引用した。
1963年6月26日、第35代アメリカ合衆国大統領、ジョン・F・ケネディが西ベルリンで行った演説「Ich bin ein Berliner」でこの成句を引用した。
1994年3月31日、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のサラエヴォ包囲の最中、アメリカ合衆国国連大使を務めるマデレーン・オルブライトはこの成句をもじって、「私はサラエボ市民だ」と演説した。
関連項目
- Ich bin ein Berliner
脚注




