三門 忠司(みかど ちゅうじ、1944年10月9日 - )は、日本の演歌歌手。本名は状家 忠次(じょうや ただつぐ)。所属レコード会社はテイチクエンタテインメント。
来歴
1944年、大阪岸和田にて誕生。父・忠治は身重の母・ヤスエを残して出兵していた。父は駐屯先で母に会い「男の子なら忠次、女の子なら治子」と命名、これが夫婦最後の会話となった。三門の誕生から2ヶ月後に父の戦死の知らせが届く。
祭りがさかんな地域に育ち、歌の得意な三門は子供ながらにやぐら舞台のスターとなった。中学卒業後は製鉄会社に就職。歌手に憧れていたものの、病弱な母を抱えて、到底歌手を目指せる境遇ではなかった。
何度となく上京を計画したが、母に後ろ髪を引かれ断念。23歳で結婚し1男をもうけた。しかし、三門が26歳のとき母が癌で死去。
1979年、『第1回CBS・ソニーオーディション』に合格。翌1980年、35歳にして「流れて大阪」で歌手デビュー。勤続年数20年の遅咲き、後年人気を博す福田こうへい・成世昌平といった「脱サラ演歌歌手」の走りであった。
1984年には「片恋酒」が25万枚のヒット。同曲で『第17回全日本有線放送大賞・優秀新人賞』を受賞。1991年、「雨の大阪」が30万枚を超えるヒットとなり『第25回全日本有線放送大賞・特別賞』を受賞。2024年現在に至るまで地元を拠点に活動しており、大阪ではトップクラスの演歌歌手である。
2001年、テイチクエンタテインメントへ移籍。同年8月に移籍第1弾シングル「大阪かたぎ」をリリース。2011年、大阪・新歌舞伎座にて30周年記念コンサートを開催。
2015年、「人生一勝二敗」が『2014年度藤田まさと賞』を受賞。
2017年、出身地・岸和田の観光大使に就任。
楽曲はいわゆるド演歌で、かつての宮史郎を彷彿させる声質と渋い節回しが特徴である。
過去に肺がんを患ったことがある。健康法は四股を踏んで股関節を伸ばすこと。2024年に田畑の多い地域に移住した。
ディスコグラフィ
シングル
デュエット・シングル
アルバム
オリジナル・アルバム
カバー・アルバム
ベスト・アルバム
映像作品
ミュージック・ビデオ
出演
テレビ
- ちちんぷいぷい(毎日放送)
- 生×カラ!TV(サンテレビ)
- BS日本のうた(NHK-BS1)
- NHK歌謡コンサート(NHK)
- NHKのど自慢(2010年2月21日初登場、NHK)
脚注
出典
注釈
参考文献
- 亜蘭忍『なにわの演歌星 演歌星たちのド根性物語』言論出版社、1992年9月1日。ISBN 978-4906303083。
外部リンク
- 三門忠司 TEICHIKU RECORDS オフィシャルサイト - テイチクエンタテインメント
- 三門忠司 ソニーミュージックオフィシャルサイト - ソニー・ミュージック


![三門忠司[三門忠司 2005年全曲集:TECE30512] / TEICHIKU RECORDS](https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/mikado/discography/jacket/TECE-30512.jpg)

![三門忠司[三門忠司 2019年全曲集:TECE3511] / TEICHIKU RECORDS](https://teichiku.co.jp/teichiku/artist/mikado/discography/jacket/TECE-3511.jpg)