1961年アメリカグランプリ (1961 United States Grand Prix) は、1961年のF1世界選手権第8戦(最終戦)として、1961年10月8日にワトキンズ・グレン・グランプリ・サーキットで開催された。
F1世界選手権の一戦として3年目を迎えたアメリカGPは、本年からキャメロン・アーゲットシンガーによって創設されたワトキンズ・グレンで通年行われるようになった。シーズン最終戦はイネス・アイルランドが制し、コーリン・チャップマン率いるチーム・ロータスに初勝利をもたらした。アイルランドにとってはF1キャリアで唯一の勝利となった。アイルランドは8番手からスタートし、スターリング・モスのエンジンが壊れてリードを奪い、2位のダン・ガーニーに4.3秒差を付けて優勝した。
レース概要
前戦イタリアGPでアメリカ人初のドライバーズチャンピオンを獲得したカリフォルニア州出身のフィル・ヒルにとって、本レースは凱旋レースになるはずだった。しかし、フェラーリは前戦イタリアGPのヴォルフガング・フォン・トリップスの事故死により、フィル・ヒルのドライバーズチャンピオンとコンストラクターズチャンピオンの二冠が決定したことで、本レースを欠場した。
ポルシェ2台を除く全車がクライマックスエンジンを使用し、クーパー・ワークスのジャック・ブラバムとロブ・ウォーカー・レーシングチームでロータスをドライブするモスの2台のみ開発途上のFWMV(V型8気筒)を使用することができた。モスは土曜日にFPF(直列4気筒)エンジンで1分18秒2、FWMV(V8)で1分17秒2を記録したが、決勝は古いFPFエンジンで臨むことを決めたため、2列目の3番グリッドでブルース・マクラーレンと並ぶことになった。ブラバムは1分17秒0でポールポジションを獲得した。BRMのグラハム・ヒルがモスとマクラーレンより0秒1速い2位で、ブラバムとフロントローに並ぶことになった。チーム・ロータスはジム・クラークが5位、アイルランドは8位だった。アイルランドは金曜日にステアリングの故障でスピンを喫し、翌日はギアボックスが故障したが、決勝までに修理が施された。多くの北米出身のドライバーがスポット参戦したが、地元ファンの期待に応えられず後方のグリッドに沈んだ。カナダ出身のピーター・ライアンは本レースが唯一のF1出走だったが、ウォルト・ハンスゲン、ロジャー・ペンスキー、ハップ・シャープ、ジム・ホール、ロイド・ルビーを抑えた。ペンスキーのマシンはデュポン・アンチフリーズの明るい黄色に塗られており、これがF1における最初のスポンサーシップとなった。
日曜日の決勝には28,000人(練習走行と予選を含めると60,000人)の観衆が集まり、スポンサーを喜ばせたことで将来のレース開催に弾みを付けた。1コーナーでブラバムがトップに立つが、1周目が終わる前にモスが追い抜いた。以下、アイルランド、グラハム・ヒル、ダン・ガーニー、マステン・グレゴリー、マクラーレンが続いた。3周目、アイルランドがストレートエンドに撒かれていたオイルでスピンして11位に後退するが、10周目に4位まで順位を戻した。レースの約3分の1が経過した34周目、首位ブラバムのV8エンジンが水漏れのため過熱してしまい、ブラバムはモスに首位の座を明け渡し、左エキゾーストから煙が噴き出したところでピットへ入り、水の補給を行いコースへ復帰したものの、過熱のダメージが大きかったためリタイアした。これでモスが首位を独走するが59周目に油圧が低下してリタイアとなり、アイルランドが首位に浮上した。アイルランドを追うグラハム・ヒルはマシンに問題を抱えて順位を落とし、ロイ・サルヴァドーリもエンジントラブルでリタイアとなり、アイルランドが優勝した。地元出身のガーニーが4.3秒差の2位、本レースをもってF1から引退したトニー・ブルックスが3位表彰台を獲得した。
アイルランドにとってはF1キャリア唯一の勝利で、かつチーム・ロータスの最初の勝利であった。そしてアメリカGPで初めて利益を出し、翌年の開催を確実なものとした。モスは翌年4月の開幕前に行われた非選手権レースのグローヴァー・トロフィー(グッドウッド・サーキット)で瀕死の重傷を負い引退したため、これが最後のF1世界選手権レース参戦となった。
エントリーリスト
- 追記
- タイヤは全車ダンロップ
- ^1 - モスは予選でV8エンジンと直列4気筒エンジンを併用したが、決勝は直列4気筒エンジンを使用した
- ^2 - エントリーしたが出場せず
結果
予選
決勝
- ラップリーダー
- 1-5=スターリング・モス、6-15=ジャック・ブラバム、16=モス、17-23=ブラバム、24-25=モス、26-33=ブラバム、34-35=モス、36-38=ブラバム、39-58=モス、59-100=イネス・アイルランド
ランキング
- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
参照文献
- 林信次『F1全史 1961-1965』ニューズ出版、1997年。ISBN 4-938495-09-0。
- James T. Crow (January, 1962). "U.S. Grand Prix". Road & Track, 68-72.
- Doug Nye (1978). The United States Grand Prix and Grand Prize Races, 1908-1977. B. T. Batsford. ISBN 0-7134-1263-1
- J.J. O'Malley and Bill Green (1998). Watkins Glen, From Griswold to Gordon: Fifty Years of Competition At the Home of American Road Racing.
外部リンク
- STATS F1
- Don Capps. "Rear View Mirror." (Archived 2009-05-04) Atlas F1: Volume 6, Issue 43. Retrieved on April 26, 2009.


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